テラヘルツ周波数コム分光法


 フェムト秒モード同期レーザーから出力されるレーザー光は、時間領域において非常に安定した高繰返しのモード同期超短光パルス列を示します(図1)。一方、フーリエ変換の関係にある周波数領域では、多数の安定な光周波数モード列がモード同期周波数(=f1)の間隔で規則的に櫛(コム)の歯状で並んだ離散スペクトル構造を有しています。このようなスペクトル構造を周波数コムと言い、特にフェムト秒レーザーから発せられた光周波数領域のコムをフェムト秒光周波数コムと呼びます。近年、このフェムト秒光周波数コムを『光周波数の物差し』と見立てた超精密分光や周波数標準に関する研究が非常に注目されており、2005年には関連技術を開発したテオドール W.ヘンシュ博士(ドイツ)とジョン L.ホール博士(アメリカ)がノーベル物理学賞を受賞しています。
 このようなフェムト秒レーザー光を光伝導アンテナ(または非線形光学結晶)に照射すると広帯域コヒーレントなTHz光が発生し、時間領域ではフェムト秒レーザー光に同期したTHz領域のモード同期パルス列が観測されます。一方、周波数領域におけるTHz放射は、光伝導アンテナを介したフェムト秒光周波数コムの超広帯域復調と見なすことができ、その超高速応答性の結果、モード同期周波数の基本波成分(=f1)と多数の高調波成分(=2f1, 3f1, ・・・・・, nf1)が等間隔で立ち並んだ高調波コムがテラヘルツ領域に生成されることになります。このTHz領域に展開された周波数コムである『THzコム』は、広い周波数選択性・非常に高いスペクトル純度・直接的絶対周波数較正・周波数逓倍機能・単純性といった特徴を有しています。したがって、このTHzコムを高度に安定化することにより『THz領域において正確に値付けされた電磁波周波数の物差し』が実現できれば、これを『テラヘルツ分光計測の目盛り』として利用することにより、極めて高いスペクトル確度とスペクトル分解能を有する超精密THz分光が可能になります。

図1 フェムト秒光周波数コムとTHzコム

 THzパルスを用いた代表的分光法であるTHz時間領域分光法(THz-TDS)では、THzパルス電場の時間波形を時間分解測定し、それをパソコンで高速フーリエ変換(FFT)することにより振幅及び位相の周波数スペクトルを得ていました。一方、周波数コムに基づいた周波数領域測定の概念を導入すると、THzパルス電場の時間波形を取得せずとも、直接スペクトルを得ることができます。このようなTHzコム分光法を実現するため、以下に示す2つの要素技術の開発を行っています。


(a)極めて正確で長い周波数物差しの作成(ブロードバンドTHzスタンダード・コム)

 THzコム分光法を実現するためには、まず正確で長い電磁波周波数の物差し、すなわち『ブロードバンドTHzスタンダード・コム』を作る必要がありますす。THzコムの安定化は、フェムト秒モード同期レーザーの超精密制御技術を用いて光周波数コムを安定化することにより実現できます。これまでに、コム間隔が参照信号源のルビジウム原子時計(確度5*10^-11、安定度2*10^-11)と同等に安定な周波数コムすなわち『スタンダード・コム』を達成しています。一方、パルス幅10フェムト秒以下の極超短フェムト秒パルスレーザーを光伝導アンテナ(または非線形光学結晶)に照射することにより、THzコムのブロードバンド化を実現できます。このようなTHzコムの安定化技術と広帯域化技術を融合することにより、周波数だけでなく位相や強度までも安定で高品質なブロードバンドTHzスタンダード・コムを実現することができます。


(b)周波数物差しの極めて正確な目盛り読み取り(多周波ヘテロダイン光伝導検出)

 THzスタンダード・コムを有効利用するためには、周波数コム目盛りの正確な読み取り技術の確立も必要です。THzコムの検出には光伝導アンテナを利用しますが、光伝導アンテナ後段の検出エレクトロニクスの周波数帯域制限より、THzコム全帯域のスペクトル(1THz以上)を直接取得するのは不可能です。そこで、このTHzコムを周波数計測機器(例えば、スペクトラム・アナライザー)で直接計測できる電波周波数(RF)帯まで正確に周波数ダウンスケーリング可能な多周波ヘテロダイン光伝導検出法を開発しました。装置図及び装置原理を図2及び図3に示す。通常のTHz-TDSシステムでは1台のフェムト秒レーザーを用いますが、本手法ではTHzコム発生用とTHzコム読み出し用に2台の独立したフェムト秒レーザー(ポンプレーザー:モード同期周波数=f1、プローブレーザー:モード同期周波数=f2)を用います。ここで、それぞれのモード同期周波数がΔf(=f1-f2)だけわずかに異なるようにレーザー制御を行うと、光周波数領域ではコム間隔が異なる2つの光周波数コムが生成されることになります。ポンプレーザー光をTHzコム発生用光伝導アンテナに入射すると、THzコム(周波数間隔=f1)が放射されます。一方、プローブレーザー光をTHzコム検出用光伝導アンテナに入射すると、超短パルス光による繰返し超高速光スイッチングの結果、光伝導アンテナ内に光励起電流の周波数コム(PCコム,周波数間隔=f2)が生成されます。このPCコムはちょうど周波数帯域的にTHzコムと同じ領域に存在するので、このようなPCコムが誘起された光伝導アンテナにTHzコムが入射されると、両者の相互作用(多周波へテロダイン光伝導検出)により、両コムのビート周波数(=Δf)を周波数間隔とする2次的な周波数コム(Δf, 2Δf, 3Δf,......, nΔf)がRF領域に電気信号として発生することになります(RFコム)。このRFコムの周波数スケールは、THzコムの周波数スケールをある周波数縮小比率(=f1/Δf)で正確にダウンスケーリングしたものであるので、このRFコムをスペクトラム・アナライザーで直接観測し、周波数軸を周波数縮小比率でリスケーリングすることにより、THzコムが正確に再現できます。このようにして再現されたTHzコムの確度はコム周波数間隔(モード同期周波数)及び周波数縮小比率の両安定性によって決定されるので、周波数標準器(ルビジウム原子時計)を参照信号源とした超精密レーザー制御によってf1, f2及びΔfを極安定化することにより、極めて高確度かつ高安定な分光計測が可能になります。一方、スペクトル分解能はTHzコムの単位目盛りであるモード同期周波数(=f1)となります。
 これまでの研究成果の一例を図4に示ます。図4はスペクトラム・アナライザーで測定されたRFコムであり、グラフの上部水平座標はRFスケール、下部水平座標はリスケーリングされたTHzスケールをそれぞれ示しています。狭帯域なボウタイ型光伝導アンテナをTHz発生及び検出に利用しているので、スペクトル帯域がサブTHz領域に制限されているものの、THzコム・スペクトルが確認できます。挿入図は0.0462〜0.0468THzの領域を拡大したものです。モード同期周波数(81.8MHz)間隔で7本のTHzコム・モードが確認できます。また、各モードの絶対周波数の確度は、周波数縮小比率の安定性から10^-7が得られています。このようなTHzコム分光法は完全な周波数領域分光法ですので、従来のTHz-TDSにおいて測定時間短縮のボトルネックとなっていた機械式時間遅延走査やTHz電場時間波形のFFT処理を必要とせず、THz振幅スペクトルを直接かつ高速に測定することが可能です。

図2 測定装置

図3 測定原理

図4 測定結果

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