THz周波数コムに基づいたTHz帯スペクトラム・アナライザー

 

1.イントロダクション

 周波数は電磁波の基本物理量の1つであるので、電磁波の周波数を計測するための様々な手法が確立されている。光波領域では、干渉がよく使われる。精密計測のためには、ある共通の光路長変化に対して、被測定単色光源と光周波数が既知の基準光源(例えば、周波数安定化レーザー)の干渉縞数を比較して決定する。一方、マイクロ波帯やミリ波帯ではヘテロダイン法が使われる。この方法では、測定波がアンテナで検出され、局部発振器(既知周波数)からの基準信号とミキシングされる。その結果、RF帯のヘテロダイン・ビート信号が生成されるので、これをRF帯周波数計測機器で精密測定する。

 近年、光波と電波の境界に位置するTHz波が、センシングや通信のための新しい手段として現れた[1]THz指紋スペクトルは様々なセンシングアプリケーションで有用である。さらに、THz波はブロードバンド無線通信のキャリアとしての利用も期待されている[2]。そのようなTHz応用の増大に伴い、THz周波数標準の整備が望まれている。さらに、THz-QCL[3], UTC-PD[4], RTD[5]といった実用的CW-THz光源の出現に伴い、CW-THz波の精密周波数計測に関する要求も高まっている。しかしながら、既存の手法はTHz領域に最適化されていないので、0.1-10THzに及ぶTHz帯をフルカバーするのは困難である。さらに、これらの既存方法では、熱ノイズを抑制するために冷却がしばしば必要になる。そのため、最近、CW-THz波の周波数計測のための新しい手法が提案されている。モード同期チタンサファイアレーザーによる非同期電気光学サンプリング技術が、28THzの炭酸ガスレーザー周波数計測に用いられている[6]。また、光伝導アンテナ(PCA)をヘテロダインレシーバーとして、またLDの光ビートを局部発振器として利用することにより、50GHz-Gunn発振器の周波数計測が報告されている[7]。しかしながら、前者ではSN比が極めて低く、さらに両手法ともレーザー光源が安定化されていないので、精密な周波数計測を実現するのは困難である。

 光領域では、周波数標準の新しい手段として光周波数コムが注目されている[8]。周波数コムは周波数標準にとって魅力的な特徴(高安定・高確度、広帯域選択性、狭線幅、周波数逓倍機能)を有しているので、周波数スペクトル領域における周波数物差しとして利用できる。我々は、最近、多周波ヘテロダイン光伝導検出を用いることにより、周波数コムの概念をTHz領域まで拡張することに成功した[9]。このTHzコムはオフセット周波数を有しないモード同期周波数の高調波コムであるので、絶対周波数とコムモード次数を測定することにより、絶対周波数を決定できる。このTHzコムは、電磁波THzコム(EM-THzコム)とフォトキャリアTHzコム(PC-THzコム)に分類できる。アンテナ電極間にバイアス電圧を加えることによりPCATHzエミッターとして使用される場合、EM-THzコムがPCAから放射され、自由空間を伝搬する。一方、PCAに電流計を接続してTHz検出器として使われる場合、プローブパルス光による連続した瞬時光伝導ゲートによりPCA中にPC-THzコムが誘起される。PCAとヘテロダインレシーバーとして、THzコムは多周波の局部発振器としてそれぞれ動作するので、PC-THzコムが誘起されたPCAは絶対周波数の物差しを内蔵したTHz検出器として機能する。我々は、以前に、PC-THzコムを内蔵したPCAを用いて、EM-THzコムの詳細なスペクトル構造を計測した[9]。この概念は、CW-THzの周波数計測に拡張可能である。本論文では、CW-THz波の絶対周波数とスペクトル形状を計測するための新しいスペアナを提案し、テストソースから出力されたCW-THz波の絶対周波数を高精度に決定した。

 

 

2.測定原理

 マイクロ波技術の領域では、モード同期レーザーのコムスペクトルと非線形検出技術を使ってマイクロ波スペクトルをRFスペクトルにダウンコンバートするため電気光学サンプリングに基づいた高調波ミキシングがよく使われる。本研究では、光伝導検出を用いてTHzスペクトルをRFスペクトルまでにこの手法を改良した。測定原理を図1に示す。従来の電気的ヘテロダイン法と比較すると、主な違いは、被測定CW-THz波の検出器兼ミキサーとして光伝導アンテナ(PCA)を用いていることである。このようなヘテロダイン検出器としてPCAを利用することにより、室温環境下(従来の電気的ヘテロダイン法では熱雑音を抑制するために極低温までの冷却が必要)での高感度・広帯域のスペクトル感度を可能にする。もう一つの違いは、TH領域をフルカバー可能な多周波局部発振器としてPC-THzコムを利用していることである。

Fig. 1. Principle of THz spectrum analyzer.

 

 図2(a)に示すように、フェムト秒レーザー光(モード同期周波数f)が光伝導膜のアンテナギャップに入射される時のPCA検出器を考える。図2(b)は、その場合の光領域、THz領域、RF領域のスペクトルを示している。フェムト秒レーザー光から出力されたプローブ光パルス列は周波数領域では光周波数コムを構成し、その間隔はモード同期周波数に一致している(図2(b))。PCAがそのようなパルス列でトリガーされると、それに同期してフォトキャリヤがPCA内に生成される。そのフォトキャリヤは、瞬時的な光伝導性スイッチとして機能する。N(t)をフォトキャリヤの時間関数と定義すると、N(t)のフーリエ変換であるN(w)もまたコムスペクトル(PC-THzコム)を示す(図2(b)の中段)。PC-THzコムの生成はPCAを介した光コムの超広帯域復調と見なされるので、光コム(コム間隔f)はコム間隔の変化なくTHz領域までダウンコンバートされる。その結果のPC-THzコムは周波数オフセットを有しない高調波コムとなり、モード同期周波数の基本波成分(周波数f)と高調波成分群(2f, 3f, ……, nf)から構成される。これが、キャリヤ・エンベロープ・オフセット周波数を有する光コムとの大きな違いであり、THzコムの安定化も含めて単純かつ実用的なTHz周波数標準の構築を可能にする。

 次に、プローブ光によってPC-THzコムが誘起されたPCA検出器に被測定CW-THz波(時間領域:ETHz(t)、周波数領域:ETHz(w))が入射されると何が起こるかを考える。フォトキャリヤN(t)ETHz(t)によって加速され、このN(t)の加速が過渡光電流J(t)として検出される。この時、J(t)N(t)ETHz(t)の積で表される。この時間領域の関係は、周波数領域ではコンボリューション関係になる。それ故、J(t)のフーリエ変換であるJ(w)は、図2(b)下段で表されるように、CW-THzETHz(w)PC-THzコムN(w)のコンボリューションで与えられる。これを光伝導ミキシングと呼ぶ。そのようなPCAにおける光伝導ミキシング過程は、CW-THz波とPC-THzコム間のビート信号群をRF帯に生成する。ここで、最も低周波のビート信号に注目する。ビート信号(周波数fb)はCW-THz波(周波数fx)とそれに最隣接したm次のコムモード(周波数mf)のミキシングによって生成しているので、fb値は以下のように与えられる。

        fb = |fx - mf|.                          (1)

それ故、mの次数とfx – mfの符号が測定できれば、fxが決定できる。mの次数とfx – mfの符号を決定するためには、レーザー共振器長の調節によりモード同期周波数をfからf+dfに変化させる。この結果、ビート周波数はfb+dfbに変化する。dfbmdfは等しくなければならないので、mの次数は下記のように決定される。

        m = |dfb|/|df|.                          (2)

dfb/dfの符号は、fx – mfの符号の反転となる。最終的に、被測定CW-THz波の絶対周波数は、下記の式から、f, fb,dfb, dfを測定することによって決定できる。

fx = mf + fb (dfb/df < 0)                       (3a)

                     fx = mf - fb  (dfb/df > 0).                      (3b)

 

Fig. 2. (a) Geometry of a measured CW-THz wave and probe pulse light on the PCA, and (b) the corresponding spectral behavior in optical, THz, and RF regions.

 

3.実験装置

 図3は、THzスペアナの装置図を示す。PCA内にPC=THzコムを生成するため、プローブレーザーとしてモード同期チタン・サファイアレーザーを用いる。モード同期周波数fは、ルビジウム原子時計を基準としたレーザー制御システムによって、ルビジウム原子時計と同程度まで安定化されている。その結果、ルビジウム原子時計と等価なPC-THzコムがPCA内に生成される。

 安定化チタン・サファイアレーザーから出力されたプローブ光(平均パワー10mW)をレンズでPCAのアンテナギャプに集光することにより、PC-THzコムが生成される。PC-THzコムはRF領域からTHz領域までに切れ目無く存在するが、実際のスペクトル感度はPCAのアンテナ形状とPCAマテリアルのフォノン吸収によって制限される。今回は、サブTHz領域に高い感度を有するボウタイ型低温成長GaAsLT-GaAsPCA(ボウタイ長10µm、ギャップ間隔5µm)と、1TH以上に高い感度を有するダイポール型LT-GaAs-PCA(長さ7.5µm、幅10µm、ギャップ間隔5µm)を用いた。テストソースからの被測定CW-THz波は、プローブ光入射方向と反対に取り付けられた半球シリコンレンズを介して、PCAに入射される。CW-THz波とPC-THzコム間での光伝導ミキシングにより、PCAから微弱電流信号が出力される。出力電流信号はアンプで増幅された後、RFスペアナで周波数値とスペクトル形状を測定する。モード同期周波数fが周波数カウンターで測定される。RFスペアナと周波数カウンターにはルビジウム原子時計を外部基準として与えている。

 

Fig. 3. Experimental setup of THz spectrum analyzer for measurement of a sub-THz test source. fs-ML Ti:S laser: femtosecond mode-locked Ti:sapphire laser; PZT: piezoelectric transducer; BS: beam splitter; L: objective lens; PCA: photoconductive antenna; Si-L: silicon lens; PD: photodetector; AMP: amplifier.

 

4.測定結果

 THzスペアナの性能を評価するため、周波数シンセサイザーの出力をアクティブ周波数逓倍器で6逓倍したものをテストソースとして用いた。周波数シンセサイザーはルビジウム原子時計に同期させている。PCAから出力された電流信号は広帯域アンプで増幅され、RFスペアナで測定された。図4(a)は、テストソース周波数を90,008,480,000Hz、レーザーモード同期周波数を81,840,000Hzに設定した時の測定信号スペクトルを示している(スイープ時間100ms、分解能帯域幅(RBW300kHz)。CW-THz波とPC-THzコム間のビート信号群が観測されている。図4(b)は、100MHzまでの領域を拡大したスペクトルである(スイープ時間=100msRBW=300kHz)。周波数fbf-fbにビート信号のペアが確認できる。23.6MHzfb信号は、被測定CW-THz波とそれに最隣接したm次コムモードとのビート信号であり、58.2MHzf-fb信号は被測定CW-THz波と(m+1)もしくは(m-1)次のコムモードとのビート信号である。fb信号のスペクトルをさらに拡大したのが図4(c)であり(スイープ時間=2.3sRBW=1Hz)、ビート信号の線幅は1.35Hzであった。但し、この値はRFスペアナのRBW=1Hzによって制限されており、実際の値はさらに狭いと考えられ、1Hz以下の分解能での実時間スペクトル計測が可能である。図4(c)の縦軸を対数表示で表したのが図4(d)であり、50dBの測定SN比が得られているのが分かる。テストソースの平均パワーが2.5mWであるので、スイープ時間2.3sでの検出限界パワーは25nWである。

 

Fig. 4. Spectra of the PCA current under irradiation of a CW-THz wave (freq. = 90,008,480,000 Hz) with frequency span of (a) 1000 MHz and (b) 100 MHz. (c) Linear-scale and (d) logarithmic-scale spectra of the fb beat signal when the fb value is set below 1 MHz.

 

 テストソースの絶対周波数を決定するためには、モード同期周波数をチューニングしながらビート周波数の変化を測定する必要がある。初期モード同期周波数を81,823,757Hzに設定した時の最低次ビート信号をRFスペアナで計測した結果を図5に示す。この時のビート周波数は454,037.976Hzであった。次に、レーザー制御システムを用いて、モード同期周波数を81,823,857Hzに設定した。その時のビート信号は図5の青色で示されており、周波数は333,027.731Hzになった。これらの値を式(2)に代入すると、以下のようになる。

                            (4a)

       dfb/df<0.                          (4b)

それ故、テストソースの絶対周波数fxは、式3(a)を使って、以下のように決定された。

fx = mf + fb

= 1210 × 81,823,757 + 454,027.976 = 99,007,119,997.976 Hz.   (5)

テストソースの設定周波数は99,007,200,000.000Hzであるので、測定値のエラーはわずか2.024Hzである。

 

Fig. 5. Spectra of the fb beat signal when the laser mode-locked frequency (f) is set at 81,823,757 (red curve) Hz and 81,823,857 Hz (blue curve).

 

 次に、テストソースの周波数を75GHzから110GHzまで5GHz刻みでチューニングしながら絶対周波数を測定した。設定周波数と測定周波数線形性および各周波数における測定誤差を図6に示す。THzスペアナの測定精度を設定値に対する測定誤差と定義すると、この実験での平均精度は2.8*10-11である。

 

Fig. 6. Relationship between setting frequency and measured frequency (black plot), and measurement error at each frequency (blue plot).

 

5.まとめ

 CW-THz波の絶対周波数とスペクトル形状の計測が可能なTHzスペアナwp開発した。提案された手法は光伝導ヘテロダインに基づいており、PCAをヘテロダインレシーバー、PC-THzコムを多周波局部発振器として利用することにより実現されている。PCA中に生成された安定なPC-THzコムを基準とすることにより、テストソースの絶対周波数が2.8*10-11の精度で決定され、これはRb原子時計と同等の精度である。また、スペクトル形状は分解能1Hz以下、測定SN50dBで測定され、検出パワー限界は25nWであった。

 

 

参考文献

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